20世紀の終わりから21世紀にかけて、日本のシリコンバレーという触れ込みで東京・渋谷に「ビット・バレー」の名前でネット関連の起業家が集中しました。
「ビット・バレー構想」が公になったのは99年の春でした。デジタル用語の「ビット」と、「渋い(ビター)谷(バレー)」の造語は流行語になり起業家が吸い寄せられました。
渋谷の20年間は、ネットビジネスを軸に揺れ動いてきました。首都高3号ができた頃の1966年から70年にかけてビルが乱立しました。ところが、30年後にはバブル経済が崩壊し、古くて安いテナントが大量供給され、その物件に集まったのが新興ネット企業でした。
ですが、02年ごろからネット株バブルが崩壊し、05年のライブドア事件、08年のリーマン・ショックでネット企業は淘汰されました。
その渋谷が、ネットバブル崩壊や停滞期を乗り越え、活気が戻ってきました。時を経て主導権はビットバレーの熱狂を知らない世代に移りました。
ビルの一角に設置されたスタートアップ向けコワーキングスペース「#hive shibuya」には10代の起業家も集まり、こうした活気に大企業も引き寄せられてきました。
大企業の“オープンイノベーション”は2000年代前半に既視感があります。渋谷で始まる「ビットバレー2.0」の姿は日本の産業構造転換のモチーフになるでしょう。
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