昭和59年4月2日の日経新聞の見出しに「一番列車に歓呼の渦」、という記事を見つけました。
鼓笛隊が町中を演奏しながらゆっくり歩き、花火を打ち上げて、悲願達成に村中がお祭りムード一色と報じられておりました。岩手の三陸鉄道が開業した日の出来事です。
実は三陸地方を縦貫する鉄道構想は明治の大津波の復興策として浮上しました。岩手県出身の平民宰相、原敬氏らの尽力で大正時代に建設予定路線になったものの、国鉄再建に向けて廃線候補になったりと、工事が本格化したのは昭和40年代でした。
今回の震災と津波で三陸鉄道は駅舎や路線ごと流され、復旧したのは現在でも3分の1の区間だけです。また、赤字決算が続いてきただけにその費用を捻出するメドもたっておりません。防災面を考えれば、元のルートのままでいいのか、という問題も出てきます。
しかし、住民の足の確保なしには復興はあり得ません。地元では「三陸鉄道を勝手に応援する会」などがイベントを開催し、売り上げ金などを寄付しております。
繰り返す大津波を乗り越え、再び地域が一丸となれるのかどうかが、鉄路の行方を決めます。昨日のこのコーナーでもお話をさせていただきましたが、我々は東北を楽しむことで、復興を後押ししたいですね。
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