2011年3月11日、午後2時46分18秒、突然大きな揺れが始まりました。当時私はお客様と電話で、あと15分ほどで引ける相場について話をしておりました。
弊社のスタッフの一人が「揺れているよ、大きいよ!」との叫び声がやたらと大きく響き、私もお客様の声が聞こえないよと思いながらも、窓から見える向かいのビルが波を打って揺れている様子から、慌ててお客様に事情を説明し電話を切ったことを覚えております。
その後まだ日も明るい中で、テレビから流れる映像はまさにパニック映画の様相で、自分の目が信じられませんでした。津波などという代物は映画の世界でしか見たことがなく、船と車と家が一緒に流されて行く、すべてを飲み込んで行く光景を、恐ろしく震えながら、涙を抑えながら見ておりました。
私事ですが、私の親は東京浅草生まれで、私もそこで生まれ育ちましたが、妻の田舎が岩手県であります。海岸線の宮古市などにも多数親戚が住んでおりますので、その安否確認をするにもなかなか繋がらず、普段からの危機対応の甘さを痛感いたしました。
数日たって、幸いにも親戚の中に津波による被害はなかったことは確認できましたが、揺れによる家屋の半壊等の被害が確認され、何とか救援のための人力、物資などで役に立てないかとの思いに駆られましたが、現地の親戚からは「電車も動いてないし、車も普通に走れない、既に緊急物資の搬送などは動きが出ているから、各個人が勝手に動くことで返って邪魔になるから、気持ちだけもらっておくよ」と極めて冷静な答えが返ってきました。
その後も何度か同じようなやり取りがありましたが、親戚といえども遠くにいる私は全く役に立てませんでした。
その後、落ち着いた頃に伺いましたが、月日はかかりましたが綺麗に再建されておりました。一切の泣き言も言わず黙々と前向きに取り組み、数年で元の姿を取り戻した姿は、東北の人の芯の強さを痛感するとともに、自分だったらへなへなと情けなく泣きを入れていたかもしれないと思う次第であります。
そういえば、我妻も東北の血が通っています。私よりも強いわけです。
本日は少々相場からは離れますが、震災10年目に当時を思い巡らせていただきました。
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